夢の中で大声を出している、「ユラブランカ! ユラブリンカ!」って、どうもこの地名に行きたくて騒いでいるようだ、雪が降ってるのに薄着で大汗を流しながら荒原を歩いてる、大勢を乗せて身動きが取れない船に乗ってたりしてる、その間にも、「ユラブリンカ!」って叫んでる、そしてたどり着いたところは真っ赤な花が咲き乱れてた・・・

中津あたりの道の駅に泊まったって思ってたら、実際にはもっと北九州よりの香春ってとこで風呂に入った、ところがクリスマスのイルミネーションを目指して千客万来パトカーまで頻繁にやってくるのでおおとう桜街道ってとこで車中泊をした、次の日豊後高田に出たら昭和風味の店が並んでいた、そのまま目当ての国東半島をぐるって回ろうとしたんだけど海辺の風が強いので国見あたりで山道に入って国東市を目指した、なんか今回の山道は難所というかそこに住んでの生活道路としてはキツイ感じだ、それでも国道指定だったり県道指定だったりするんだけど・・・(笑)

薪を運ぶのに楽な雪が積もっていない元旦、さーていつまで続くのか・・・

 

久しぶりに早起きをした、8時なんだけど・・・(笑)                             外は雪が降ってるわけじゃあなく冷凍庫の中の景色のようだ、車は凍っている林も凍っているデッキも凍っている、かろうじて餌台だけが生きてるように見える、小鳥たちが周りで「餌がないよ! 餌がないよ!」って、群がっているからなんだろう、さっそく餌を差し入れしたら、みんな元気で餌を食べに来た・・・

先月、弥生が暖地移住計画をたてて、二人でいろんな話しをするようになった、大規模修理が必要なのに家賃3万とか4万とか・・・(笑)

材料を買って自分で修理するか業者に頼んで人が住めるようになって暮らしてて、ある日家族が戻ってくるので家を開けて欲しいって言われたらどうするんだ・・・(笑)

放棄畑放棄田を無償で貸してもらえるって喜んで雑草を刈り取って肥料もたっぷり注ぎ込んで元通りの畑や田んぼに復活して、さあこれからって時に田畑を返してくれって言われたらどうするんだ・・・(笑)

全国の地方自治体で空き家バンクが流行っていて検索すると移住成功例が列挙されてるんだけど失敗例はなにもない、失敗するのは移住者側に問題があるという立ち位置らしい・・・

俺の老後は一度も行ったことがないフィリピンがいいって思っている、それでも弥生ファーストだからゆず農家になりたい、老後は毎日おいしいうどんを食べて暮らしたい、毎日海で魚釣りをしたい、毎日温泉に入って暮らしたいって聞けばそれらが叶うように行動する、今回はそれらの地域があるのか、そこで快適に暮らせるのかということを少しでも感じて、評価上位をどう繋げることができるのかとかをシュミレーションするつもりだった、瀬戸内海沿岸でも中国地方は移住先としては寒そうだったので高速で九州入りも考えたけど、あまり走る機会がない2号線をひた走り夕方関門トンネルを抜けた、本州九州を結ぶ有料道路150円は安い・・・

夜は日帰り温泉に入って中津あたりの道の駅で車中泊・・・

 

一度23号線に出てそれから1号線を使って伊賀上野に向った、豪華な瓦を乗せた家々、周囲は杉檜の山々が連なっているので花粉症持ちには少し厳しいだろう、てっ言うことで大阪枚方に出て神戸をスマホのナビに希望したんだけどこれが大間違い、紙の地図では真西に行く道があるんだけどなぜか平等院に連れて行かれその後枚方から宝塚経由で2号線、夜になってしまったので周囲の景色を味わえることもなくただひたすら西に向って深夜岡山海近くの道の駅みやま公園、その後もナビとは喧嘩したり仲良くなったりでアナログ男とは相性があんまり良くなかった・・・(笑)

バネットの荷室にタイヤケースというタイヤ部分が出っ張った所がある、その高さに合わせて台を作ったり衣装ケースを並べればよかったんだけど急ごしらえでミカンコンテナーを並べてケースには着替えやら車用の道具を入れたりして30センチ幅の板を並べた、こうしてけば直ぐに必要なものを取り出せると思っていたけどかなり失敗だった、その上に三つ折りのマットレスを三つに切って二つを一人分に縦に並べてその上に2センチ厚のかけ布団にもう一枚防寒のフリースを敷きここまでが敷き布団、かけ布団は自宅で使ってるダウンの布団をフリースで包んだものを二人分使った、出かける直前まで最強寝袋とどっちがいいか悩んだけど最後は心地よさをとった・・・

次に出かける時はタイヤケースの高さの引き出し型の衣装ケースを並べる方法を取って、車内防寒用に毛布を引っ掛けるようにフックを工夫しようと考えている・・・

今回スプリングの硬い車なので弥生が直ぐにネヲアゲルって思っていた、だから三日に一回はビジネスに泊まるだろうと予想してたんだけどかなり辛抱強くてびっくりした、結局13泊して9車中泊4宿泊だった、別府、指宿、道後、那智勝浦・・・

朝、名古屋を走って23号線で伊賀に向おうとしてたら、ナビを見ていた弥生がいきなり友だちの名前と住所を叫んだ、結局電話番号で行き先を探すってとこに頭が働かなかったので忙しい中最寄り駅まで迎えに来てもらった、朝ごはんを振舞ってもらった、その後車の中で弥生に朝一番の電話でびっくりさせて速攻で朝ごはんを作る手並みを誉めたら、笑いながら、「わたしは主婦じゃあないし・・・」って、決まり文句で大逃げしてしてた・・・(笑)

最初は中国のゴルムドだった、チベット文化圏をアッチコッチ回って最後にラサにもぐり込もうと、たどり着いたホテルでチェックインしたら日本人らしいカップルがフロント近くに座っていた、これからラサに行くしかないゴルムドの旅行者と合流すると目立って両者共倒れになるからと嫌がる弥生を説き伏せて速攻でチェックアウトした、その後再会したり別行動を取ったりしながら最後には中国ネパール国境でまた会って、カトマンズまで同行した・・・

旅行中に出会って少しの時間を共有して別れると寂しさを感じ、その相手と再会すると喜びを感じる・・・

現在氷点下6・5度・・・明日の最低気温氷点下10度・・・

 

高速道路を使って1200キロを16時間で走った事が何度かある、途中3箇所で荷物を降ろして最終地点が朝4時だった、トイレタイムが休憩タイムで大型トラックの制限時速が80キロだから拡大鏡を使いながら時々車を揺らせながら怪しい車がいないのを確認しては120キロ以上の速度で走っていた・・・

今回は移住先の候補地を感じるためなんだからとなるべく下道で移動した、パソコンの画面で見る景色や活字を読んでも感じられない部分を感じたかった・・・

ガソリンスタンドの表示価格でも安い地域高い地域が分かる、スーパーに寄れば各地の特産物がわかるし道の駅で農産物海産物を販売してる人たちと接触すればなにかを感じる事が出来る、ほんの少しのことで評価が上がったり下がったりするのでかなりおもしろい・・・

夕方になって出発したので松本経由で木曽路に入った時は夜になってて山道が凍って見えてかなりしんどかった、かなり眼が弱っているってことだろう・・・

木曽路を抜けてほっとして岐阜の道の駅で車中泊・・・

 

キビタケが毎日来て車と戦ってる、ミラーに写ってる自分を敵だと思ってるらしい、2台の車がフンだらけになって毎日ぬれた雑巾で掃除することになってる、最高気温が3度だ4度だっていう状態なのでキビタケに話しかけてる、「ほかの小鳥たちのように餌でも食べに来たらどうだい・・・」って、車を綺麗にすると30分もしないうちに戦いに来る、まったくよー・・・(笑)

家の周りの木々を切り倒したりその枝を畑で燃やしたりして片付けている、あと少し薪を作って長い冬に備えるかって感じじゃあない、薪が足りなくなっても濡れてる薪を乾かしながら使えばいいし身体と気持ちが寒くてナエタリコワレタリしたら暖かい所へ移動すればいいだけ・・・

人は我慢強いからなかなか移動しない・・・

陣地を手に入れて小さな小屋を建てて暮らすことを夢にして実行してる若い人たちが増えてるらしい、都会で夢破れて田舎で農業したいとか漁師になりたいとかいうんじゃあないらしい・・・

村はずれの原野とか山林とかを裁判所の競売で手に入れたりしながら小さな小屋を建ててただ暮らすだけらしい、まるで俺の夢・・・(笑)

俺は弥生と結婚してから夢の中で暮らしてきた、これからもおなじように夢の中で暮らし続ける、山林の木を手引き鋸で切り倒してその木で小屋を作って寝泊りするなんてかなり楽しいことだろう・・・

楽しくない人生なんて人生じゃあない・・・

旅行中弥生に教わった、車のミラーと戦ってるのはキビタケじゃあなくてキビタキなんだと・・・

 

相撲業界が盛り上がってる、報道業界も特需に沸いている、それに煽られて業界の外に生きる人間も我先に報道を参考にして自分の意見が正しいと主張している・・・

それにしても貴の岩の我慢がすごい、顔を張り倒されても睨みつけるだけで我慢してそのあと頭をかち割られて血だらけになっても翌日には自分が悪かったと日馬富士に謝罪してる、どんだけの損得計算をするとこんな糞我慢ができるんだろう、男が人前で顔を何発も張り倒され頭をかち割られたら100倍返しが当たり前だと思う、カウンターの中にはアイスピックもナイフも包丁もある、激昂して凶器になるものを手にして相手を刺してもいいし相手が死んでしまってもかまわない状況なんじゃあないだろうか、言い訳しなくても相手が先に激昂して血だらけになるほど殴られてるんだから過剰防衛過失致死、いい弁護士がつけば3年も矯正施設に入ってくればすむんじゃないか・・・

まあ、我慢するには我慢する理由があったんだろう、上席先輩だろうが雇い主だろうがやられたらやり返すって普通のことじゃあないのか・・・

日馬富士は今がどん底なんだろうけど先の人生がさほど厳しくはならない、だけど貴の岩の人生はここから下降線に入ってしまうんじゃあないのか・・・

我慢しなけりゃあならない時、我慢しちゃあならない時、決断はそんなに難しくない・・・

貴の岩が屈辱に耐えて日馬富士に謝罪して丸く治めようとした話しを親である貴乃花がふんぞり返ってぶち壊す、貴の岩は貴乃花の子供じゃあなくて奴隷ってことか・・・

奴隷の飼い主が奴隷の将来を豊かにしようなんて考えるわけはない、考えてるのは自分が少しでも業界の中で優位に立つことだけで、そのために奴隷を使って当たり前・・・

 

昨日の最高気温が4度で今日は8度、明日は5度の予想が出てる、そろそろ雪が降れば溶けなくなる・・・

この頃はテレビでなんか見ると弥生と日本地図を広げるようにしてるので日本の地名にも少し明るくなったようだ・・・(笑)

東北五県がわからなかったり鳥取島根の並びがわからなかったり四国四県の並びがわからなかった時代もあった・・・

薪割りもあと1日頑張れば終る、そしてそれはこの冬じゃあなくてその次の冬まで持つだろう・・・

うめがいなくなったので今年の冬は自由自在に動ける、さーって何処の空の下で遊ぶのやらかいもく見当ができないでいる・・・

 

ボケピン・・・(笑)

餌台を作ったら弥生に受けたんだけど、「リスが入れないね・・・」って、弥生がつぶやいたので続けてもう一個作ってみた、週末雪情報が出てたのでデッキの上がり口の階段型枠作りは後回しにして丸太を切り刻んで割って薪作りを昨日と今日寒風の中汗をかきながら働いた・・・

指がしびれて腕が痛い、だからカメラはぶれるんだけど力仕事が出来ないわけじゃあないし病院に出かけて病名をつけてもらいたがる根性無しじゃあないし心配性でもない・・・

俺はいつでもどこでも薬無しで直ぐ眠れる、いつも食欲があるし快食だから食前食後に薬を飲まないし糞小便を排出するのに薬を飲まない、小象のときからこれだけでも大きな幸せなんだって感謝して生きてきた、だから何処で暮らしても幸せを感じながら生きていられる・・・

これからはもっと楽しく、もっと面白い人生にする・・・

 

トーストにブルーベリーのジャムを多めにのっけてあごを上げて食べようとしたらデッキの柵でシジュウカラがこっちを見てた、弥生が「餌台早く作ってって言いに来てるよ!」って、笑ってるので仕方なく作業を始めた、それでも楽しい仕事だ、秋冬はいつも小鳥たちに癒されていたんだから、今度は少し豪華に、って、言っても、デッキの床板を削りなおしてなんだけど・・・(笑)

いろんな仕事をやってきたけど、いちばん嫌だった仕事はやっぱ自動車製造工場の期間工だったかな、6ヶ月だけだったけど金属が入った革靴、排気ガスの中で働いてるのとおんなじぐらいの劣悪な職場環境、直ぐに作業着は油まみれになって顔中が油とスモッグ、作業中の移動のコース歩数まで指導される、自分の持ってる前科を自慢しあったり、これ見よがしの刺青を自慢しあう職場も嫌だったけど、それでも期間工より気が楽だった・・・

餌台を作ってると建物なんか直ぐにできると妄想がわいてくる、基礎を作りながら水道管も埋めていく土台を作って壁の中に電気の配管を埋めていく、後は壁と窓を作って屋根をつけるだけ・・・って・・・(笑)

まだまだ先は長い、やればできる、できなくてもやれば楽しい・・・

自分でやらないで人のことをつべこべ言うだけのジジーにはなりたくない・・・