暴力団の組長と若頭が出てきて記者会見を事務所でしてる、なぜ組長の上の組織をまとめてる会長がいないんだろう、会長が組長にあごをしゃくって、「このバカが不始末をして鉄砲玉を出しやした、申し訳ございません、組長は腹切らせます若頭は指詰めさせます・・・」って、やったら良かったのにって・・・
コーチは大学職員、監督は大学本体の理事ってことは大学が若者を教育する現場だとするとコーチ監督理事は教育者ってことなんだろうか・・・
会見でのコーチは責任を総被りする覚悟もない様子で監督は反省正直という言葉は知ってるようだけど腹ん中では、「なぜあんなにすぐばれるタイミングで後ろからタックルさせたんだ、ばれないようにやらせりゃあよかっただろうが!」、って、コーチを罵ってるし、監督コーチともども、「俺の言うことを聞いておとなしく言うことをやってれば将来は安泰だったのに」、って腹立たしく思っているのがよっくわかる・・・
この先コーチが良心の呵責に耐えられなくて落ちたら、元監督は、さんざん面倒見てやって引き上げてやったのに、飼い犬に手を噛まれたって、思うだけなんだろう、引っかぶっていなくなったら世間の追及は衰えるから自分だけは助かるのにって・・・
悪さしても証拠がなけりゃあいい、証拠があっても握りつぶして改ざんして、それでも証拠が出てきてしまったら言い訳して相手を丸め込んで安くて小さい罰ですませようとありとあらゆることをする、戦争に負けて民主主義になってから正しい道理を見失ってる人間が多くなって、すべての状況で損得勘定が思考回路の中に強くすり込まれてきた、それは暴力団の組織でも教育業界の組織でもおんなじことだ、そして状況では不利でも言った証拠がなけりゃあ裁判では先日記者会見をした20歳の学生には勝てるって踏んでいるらしい、そのうち大学に不始末を働いたっていうことで退学処分を出すんだろうけど、いや、その前に学生が退学届けを出すのかもしれない・・・
失望屈辱絶望の中で見るべきものを見てやけくそに破滅の道へ転げ落ちなかった20歳男を男として認める事が出来る、良く育ったし良く育てたってことだろう、人生の分岐点で本当に大好きな命がけで好きだったことを捨てるのも男の生き方・・・
30歳になっても62歳になっても見るべきものが見れないって気の毒としか言えない、第三者の社会人は証拠を重要視するけど別段証拠なんかは必要ない、言った言わないなんてこともどうでもいいことだ、だってねー、当事者間ではわかってるんだから・・・
男が口から吐いた言葉を命がけで守れないってーのは教育者じゃあなくて暴力団員以下なんだと、思っているのは俺だけか・・・